Sayukoさんのオーストラリア留学体験談
私はゴールドコーストからワーキングホリデーを始めました。
はじめの3ヶ月は語学学校に通い、6週間のホームステイをすることしか決めず、不安と期待で一杯な思いで日本を出発しました。
到着してからすぐにサウスポートにある「Inforum Education」という語学学校に通いはじめました。
校内ではEnglish Onlyというルールがあって、入学してすぐの頃は全然コミュニケーションが取れず授業もハードで戸惑ったけれど、その分とても効果的にそして楽しく英語が勉強できたと思います。
時には自信を無くして落ち込んだ時も、クラスメイトと励ましあいながら頑張りました。
ここで出会った先生方や沢山のクラスメイト達は間違いなく不慣れな海外生活の大きな支えになりました。
学校ではバリスタ資格のコースを受けたり、レジュメ(履歴書)の書き方を教わったり、ワーホリ生活に役立つことも多く学ぶことができました。
通学中の7月初め、私の誕生日の前日にゴールドコーストマラソンという大きなマラソン大会があり、記念のつもりで初めてのフルマラソンに挑戦しました。
42.195キロのフルマラソンを完走できればという気持ちで参加しましたが、想像以上の辛さに何度もリタイアしそうになりました。
そんな時も語学学校の仲間が応援してくれたり、ゴールで待っていてくれたりと、なんとかゴールすることができました!
翌日、友達が学校で開いてくれたサプライズのバースデーパーティーの感動は忘れられません。
ワーホリの始めに語学学校に通う事は見知らぬ土地に来たばかりの不安の中、多くの仲間に出会えるメリットもあると思います。
学校を卒業した後は保育園でチャイルドケアのボランティアをしたり、スキューバダイビングのライセンスを取ったり、
バイロンベイという所でスカイダイビングをしたり、お寿司屋さんで働いてお金を貯めたり...できるだけアクティブに過ごしました。
今回のワーホリで後悔していることのひとつは、日本人経営のお寿司屋さんで仕事をしたことです。楽しかったのですが本当は英語環境の中で仕事がしたかった・・・
でも、アクティビティや旅行をするための貯金が優先だったので、すぐに働けて、きちんとした報酬のあるお店を選びました。
何が目的なのかで仕事選びは変わりますが、ワーホリメーカーにも税金は関わってくるので、後々のことを考えると管理がしっかりしている職場であることは大切だと思います。
年末にメルボルンへ移動して、2月から約2ヶ月間、バーモリスという海沿いの街の小学校で日本語教師のアシスタントボランティアに携わりました。
その学校では全学年、全クラスが週に一回日本語や日本文化のクラスを受けています。子供たちは熱心に平仮名の書き取りをしたり、日本語の挨拶を覚えたりしていました。
私は教材を作ったり、課題のサポートをしたり、最後は教壇に立ってオリジナルの授業をさせてもらいました。
ここでは現地の子供たちに囲まれながらオーストラリアのローカルな教育現場を垣間見れたことと、「英語で日本語を教える」という体験ができた貴重な機会になりました。
オーストラリアの国民性の良いところは、フレンドリー、外国人にも優しく暖かいところ。この暖かさにとても助けられました。
仕事やボランティアの合間に、フレーザー島、シドニー、アデレード、カンガルー島、エアーズロックなど旅行をしました。
帰国前の半月間は西オーストラリアのパースから北上しエクスマスまでをバスで往復する7日間のバックパッカーツアーと、ケアンズでスキューバダイビングの船上一泊ツアーに参加してワーホリを締めくくりました。
広大なオーストラリアには自然のスケールが大きく、雄大で、日本では決して見ることができない景色がたくさん。
抜けるような高く広い青空、色濃い緑の森、赤土のどこまでも広がる大地、そしてクリアブルーの海。
都市は個性的でそれぞれの特徴がありオーストラリア一周をしてみたかったなあと思います。
日本を発った日のちょうど一年後、ビザが切れる当日にオーストラリアを出国。
初めは何も決めていなかった私のワーホリも振り返ってみるときっちり一年間を楽しみ尽くしていました。あっっっっという間でした。
長く滞在していると、日々に慣れてきてマンネリ化したり、毎日がつまらなく感じることもあったし、シェアハウス(住まい)探しも楽ではないし、
言葉の壁や文化の違いに落ち込むこともあったけど、そんな時期もひっくるめて自分を成長させてくれた一年間でした。
まだまだ書き切れない事がたくさんありますが、学校、仕事、観光のすべてが許されているワーホリビザは、過ごし方次第で色々な経験ができると思います。
「行きたい所には行く、やりたいと思ったことはやる!」の精神でいれば、始めのうちはまっさらなスケジュールもきっとどんどん埋まっていきます!